無事八高線を完乗。
高崎に到着し、群馬の空気を吸えたわけですが。
それもつかの間、復路の車窓風景を楽しむためにももう帰り始めねばなりません。
↑高崎駅の3番線ホーム端より。
八高線用の3番線ホームは、4番線ホームの先端を利用した切り欠き式ホーム。改札からはけっこう歩かされます。
重複乗車は避けるのが乗り鉄の鉄則だそうですが、この日は高麗川に車を停めてあるので、復路も同じく八高線でトンボ帰りです。
高崎線で大宮経由という手もアリですが、もう少し八高線を味わいたかったですしね。
この時点での直近の八高線は、14:56発の児玉行き。
とりあえずこれに乗り児玉まで行くことに。
そこで小一時間ほど次の列車を待つことになりますが、
高崎よりは落ち着いて過ごせるかなと思ったのです。
一瞬ながらだるま大師に勇気をもらった高崎駅。
ありがとう、さようなら高崎👋
上州の山々が遠ざかります。
赤城山の中腹からの夜景も美しいですよ。おすすめします。
そうこうしているうちに児玉駅に到着。高崎からは30分足らず。
そして次の列車が16:16の高麗川行き。
それまで50分以上あるので児玉の街を歩いてみることにしました。
駅前通り。旧児玉町の中心部。
現在は合併して本庄市の一部です。
民家に混じって個人商店や事業所が点在しますが、元日で軒並み閉まっていてとても静か。
街道まで出ればコンビニ等もあるようですが、少し遠いし、どうするか迷っていると、
「競進社模範蚕室」という看板が。
近代化遺産の一つだろうなと思い行ってみると。
閉まっていましたが、建物の外観だけは拝観できました。
当時としては画期的な技術を用いた蚕室だったそうです。
この辺りは養蚕、製糸業が盛んだったのですね。
そう言えば富岡製糸場もほど近いですし、隣の深谷市にある渋沢栄一の生家も養蚕業を営んでいました。
八高線もこの辺りの産物を都心を迂回して西日本に輸送するという使命があったのでしょう。
そして児玉駅へ戻り列車を待っていると、スマホから緊急地震速報が。能登半島で地震発生とのこと。
その惨状は車に戻ってカーラジオをつけてから知ることになります。
高麗川行きがやって来ました。
児玉から乗車する方も私を含めけっこういて、車内はほぼ満席に。
地域の足としてしっかり機能している印象です。
ほとんどの乗客は向かいに待つ川越線の電車へ。私は改札へと向かいます。
改札口を出ると西の空にはまだかろうじて残照が残っていました。
将軍標の人面の表情は暗くてよく読み取れませんでしたけれど、
「おかえり」と言ってくれているようにも見えました。
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